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2010-12-01 中将(ちゅうじょう)・・・九重のエリート

在原業平の相貌をあらわした気品と教養ある貴公子であり、平家の公達や公家、天皇にいたるまでの役柄に用いられる代表的男性面です。演目では「融」(とおる)、「雲林院」(うんりんいん)、「清経」(きよつね)等々、公家から武将に至る幾多の演目に使用されますが、使用される面(おもて)にはその演目にあった個々の表現が求められます。
例えば、公家の場合はそこはかとない雅(みやび)さがにじみ出るように、また武将においては気高い精悍さがその表情に表れていなければならないと教えられました。


演目:【融】(とおる)
・・・古くは「塩籠」と称されます

源 融(みなもと の とおる、弘仁13年(822年) - 寛平7825日(895921日))は、嵯峨天皇の12男。官位は侍従、右衛門督。大納言などを歴任し、従一位左大臣にいたる。別名河原左大臣。死後正一位を追贈されました。
嵯峨源氏融流初代。紫式部『源氏物語』の主人公光源氏の実在モデルの一人といわれます。陸奥国塩釜の風景を模して作庭した六条河原院(現在の渉成園)を造営したといい、世阿弥作の能『融』の元となったようです。また、別邸の栖霞観の故地は今日の嵯峨釈迦堂清凉寺だそうです。
能柄:切能
作者:観阿弥作(世阿弥作とも)
場所:都

【 融Ⅰ 】

img074a.gif

【 融Ⅱ 】
otodo3a.jpg

 

すじがき:東国の僧(ワキ)が都に上り、六条河原院で休んでいると、田子を担った老翁(シテ)が来て、ここの汐汲だと言う。
僧が不審がると、この河原院は、昔融大臣(とおるのおとど)が陸奥の千賀の塩釜を模造した所だから汐汲が居ても珍しくないとし、折からの月と籬(まがき)が島の景色を賞でながら融の故事を語り、また、付近の名所を僧に教えたりするが、やがて汐を汲む態にて消えうせる。

―中入りー
奇特の思いに僧は一夜を明かすことになるが、その夢に融の大臣(後シテ)が現れ、月明かりに舞(早舞)を舞い、夜の明けるとともに「月の都に、入り給ふ粧ひ」で消える。


【 中将A 】

DSCN1964a.jpg

      君まさで 煙絶えにし しほがまの
              うらさびしくも 見え渡るかな   (紀貫之)


演目:【清経】(きよつね):(典拠平家物語)

世阿弥が出家する以前の自信作のひとつで、現代でも修羅能の代表的な一曲です。亡霊のシテが妻の夢に現れるという設定ですが、前シテが後シテの化身という設定の複式夢幻能とは異質の、現在能的な作風です。
能柄:修羅物
作者:世阿弥
場所:京 清経邸

【清経】

e0186121_0501972a.jpg


 

すじがき:

「絶望は死に至る病である」一人死を選んだ男と、共に生きたかった女の葛藤を描いたもの。
都で待つ清経の妻を家臣淡津の三郎が訪れ、一門の行く末に絶望し自害した清経の最期を語る。「生きるも死ぬも共に」との約束を果たさなかった清経を恨み、妻は遺髪をつき返し、悲しみの床につく。
涙にむせぶ妻の枕元に清経の霊が立つ。源氏に追われた一門が縋るような気持ちで宇佐八幡に詣でるが、神託は平家に冷たい。神仏にも見放されたかと力を落とし、絶望のあまり力を落とし、絶望のあまり望みを失ったことを語り、最後の様子を見せる。やがて修羅道の苦患が清経を襲うが、念仏の功徳で成仏する。


【 中将B 】

DSCN1970a.jpg

                                                                                                                                              

【 中将C 】      

DSCN1955a.jpg


                                                                                                                           
                                                                                                                                                                                       

雑考:

この面は制作日の正確な記録が残っておりません。たぶん3~4年前になろうかと思います。この面を見返してみると、彫刻および彩色がつくづく未熟だと云う思いを強くします。とくに墨の使い方および筆運び等の稚拙さを痛感しますが、悪い例として己を戒めるために、習作結果の一つとして掲載しました。再度挑戦すべき課題として急がれる面です。 

追)平家・源氏の武将姿の比較
写真左が平家(面は中将)、右が源氏(面は平太)。公達と坂東武者の相異が、よく表現されていますね!

武将姿.jpg

 


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コメント 7

tasuchan

源 融に使う面ですか、それでモデルが在原業平ですか
貴公子で公家の雅、と武家の精悍さが必要な面なんですね。
でも更に僕的には源 融も業平も 心の其処は憂いがあるのも表わしていると思うのですがいかがでしょう?
かなり難しい面だと思うのですが。
by tasuchan (2010-12-01 00:17) 

般若坊

tasuchan さん 早速にNICEとCOMMENTをありがとうございます。確かに中将は難しいです。一緒に能面を習っている方に中将ばかりを彫っている方がいますが、中将にノメリ込んで10数面彫っても得心がいかないようです。型紙があるので、それなりの形は出来るのですが、表情を彫りあげ、彩色でそれを強調することに難しさがあるようです。
by 般若坊 (2010-12-01 17:28) 

くまら

能は、数えるほどしか見た事ないですが
一度しっかり勉強して観てみたいです。
ただ・・・敷居が高いイメージが強いです^^;
by くまら (2010-12-19 11:58) 

般若坊

くまらさん お久しぶりです。あなたの新ブログ“残夢整理”期待しています。
by 般若坊 (2010-12-19 12:01) 

般若坊

himakkoさん、sigさん、sazanさん、Nyandamさん、yannさん、rose-kさん Niceをありがとうございます。気がつかないでお礼が遅れましたことを、おわびします。
by 般若坊 (2011-07-06 15:27) 

般若坊

お水番さん Niceをありがとうございます。
by 般若坊 (2012-11-13 18:57) 

般若坊

YUKOさん Niceをありがとうございます。
by 般若坊 (2012-11-13 18:58) 

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